かなしみ。

観た映画についての短文まとめ

流転の地球 -太陽系脱出計画-(グオ・ファン監督、2023年、中国)

流浪地球2[5/10]

 

劉慈欣のSF小説の映画化である『流転の地球』の前日譚。

太陽が赤色巨星化かなんかするせいで100年後に地球がヤバいってなったから地球にエンジンを取り付けて太陽系にむりやり移動させる「移山計画」に向け邁進する人類であったが、意識をデジタル化することによって物理的な肉体を捨て永遠の命を得るべきだとするデジタル生命派と激しく対立。デジタル化による人類の求心力低下を恐れた国際社会はデジタル生命を全面禁止化するが、それによるデジタル生命派は地下に潜って過激なテロを行うようになり、「移山計画」の最前線であるガボンの宇宙エレベータを襲撃し、計画の柱であって宇宙ステーションを墜落させてしまう……といったようなところから始まる作中時間で数十年をかけた群像SFドラマ大作。

最初の三十分がとにかくノンストップ。カッコいいフォントの固有名詞がバンバン大書され、ドローンやら戦闘機やら巨大建造物やらがバカバカ爆発し、香港コメディみたいなノリで格闘アクションとしょーもないギャグを連発するのでこれを3時間続けたら大したもんだぞ、とおもっていたのだけれど、死んだ娘の意識をデジタル化したことで葛藤するアンディ・ラウが出てきてからはシリアスな湿っぽさ一辺倒になって失速してしまった。

見ていると古今のSF映画、たとえば『スターウォーズ』、『2001年』、『アルマゲドン』、『ブレードランナー2049』といったあたりのオマージュらしきところがいくつかあって、出てくるSF的意匠もちゃんと好きな人が作ってるんだな、とおもうけれど、なんというか、テイストがあまり感じられない。

ある程度規模のデカいSF映画にあっては、新規性のあるSF的なアイデアがかならずしも必要だとはおもわないけれど、新規性のあるビジュアル(メカニックデザインでも世界観でも雰囲気でもファッションでもクリーチャーでもなんでもいい)を提示するのは義務なんじゃないかとおもう。それが映画の未来を作るという点においてもっともSF的な挑戦であるから。