かなしみ。

観た映画についての短文まとめ

エリザベート 1878(マリー・クロイツァー監督、2022年)

Corsage, 2022

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オーストリアハンガリー皇妃エリザベート(ヴィッキー・クリープス)の最期の一年を描いた伝記的ドラマ。まず、バスタブに仰向けに沈んで水死体のように息を潜めているシーンから始まる。そして、浴槽から出ると教会で皇帝とともに皇室を称える合唱団の歌を聴くだけれど、彼女は(わざと)失神して昏倒する。ここからずっと映画はラストまで水場と「息を詰めること」をモチーフとして不穏に展開されていく。この映画でのエリザベートはかなり抑圧されていて、傍からは結構奔放で自由な人に見えるのだけれど、実は心の奥底では四十路を前に美しさや若さを失って皇帝からの寵愛や他人(男性)とのつながりを失うことをおそれている。エリザベートのおもしろエピソードとして有名な吊り輪ダンベルなどでの筋トレ習慣も、ここでは肉体を若く健康に保ちたいという切実さからで、その執着から精神病院の痴呆患者にすら「去年はきれいだといってくれたのになんで今年はいってくれないの」とつめよってしまう。特に原題にも採られているコルセット(コサージュ)は一種の象徴として用いられており、これを日常的に身につけるためにいかにハードな節制を強いられるかが描かれている。そうした面では髪や食事シーン(特にお菓子)、絵画とフィルムとの対比も印象的ですね。でまあ、エリザベートさんはだんだん病んでいくわけだけれど、最初はわりと退屈な画が多かったのが病んでいくにつれてだんだん奇天烈な画づらが増えていく。ヘロインまで打ちはじめるようになると、観客だけでなくエリザベートさんも楽しくなっていき、開き直りにも似た”解放”感さえこぼれだしてくる。それはエリザベート本人にとっては救いなのかもしれないのだけれど、彼女は針を落としただけで周囲のひとびとに影響する権力者なのであるから、自分を貫こうとすると色んな人の幸福を犠牲(特にお付きのマリーや子どもたち)にしてしまう。このへんの残酷さを下手に美化も悲劇化もせずに淡々と直視しているのはめずらしい。ルック的にもいかにもどっしり構えた静かなヨーロッパ製史劇といった趣なのだけれど、その枠組のなかで緩急がつけられていて、いろんなよろこばしさが拾える。ヴィッキー・クリープスのたたずまいの良さはいうまでもない。

そういえば、サルーキっぽい大型犬がロイヤルドッグとして出てくる。前半は出演機会が少なくてもったいないとおもっていたら、後半からは一挙に出番が増える。これも彼女の”解放”を表す演出のひとつなのだけれど、彼女の手に入れられる”自由”が時代的にしょせんは”犬の自由”程度のものでしかない、という皮肉も感じられる。